2011年08月17日

書感「稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?」

書評未満だから書感と名付けてみた。いや、書評未満どころの話ではない。そもそも読んでいない。あせる
読まぬ本について云々するのは非常に頭の悪いアレかも知れないがそこはナニがアレなのでナニであるあせる(?)
そんなこんなで第一回は税理士の亀井某著「稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?」。

いえね、どんなことからでも結論めいたことは語れるからこの本だってそれなりに「人生」とか「幸福」を語っていると思うの。
けど瑠璃子は世の中に満ちている自己啓発本とかビジネス書ってどうにも読んでて面白くないのよね。
なぜそう感じるかって言うと九割のビジネス書は(たぶん)今の「社会そのもの」を「そうあるもの」として疑わずに前提に据えてる。
極めて現実に即した態度で妥当な前提だろうけど、それってあまりにつまらなくない?てゆーか著者が「俺は敢えて現実的な前提をもとに語ることにする」とか意識的にやってる気が全然しないので、視野が非常に狭くなってる気がすんのよ。

「来世って存在するじゃん?だから来世を良くするために今世はあるよね」と言われるよりは「来世ってないじゃん?だから今を生きるじゃん?」と言われた方が確かに今の世の大勢からいって妥当な前提といえるけど、しかし「幸せ」とか「人生」ってものは来世を信じていた時代の人にとっても重要だったわけだから、いきなり「来世はないじゃん」から始めて「来世を信じていた人の幸せ」や「来世を信じていた人の生活の細かい場面場面」を無視して「今の幸せ」だけを考えてもあまり面白いことにはならないというか。
もちろん「日本文学史」の書物にチベット文学の内容を盛り込む必要はないという意味で、今の社会のビジネス書に来世信仰社会の内容を盛り込む必要はないんだけれど、日本文学といったときに「文学とはなにか」の考察・定義は必須で、「小説は小説じゃん」ですます杜撰な文学史なんて読むだけ無駄である。
それと同じで、幸せだの人生だのを深く考察した跡を感じさせる作者が、敢えてテーマを現代に絞って書いた、というものでないと読むに耐えない気がする。
そしてそういう自覚的な著者があまりにも少なすぎる気がする。

長財布の本がどんな立ち位置なのかは知らないが、まさか長財布の魔術的効能を説いたな内容ではないのだろうから、きっと心構えを語るの本なのだと思う。
例えば、「大きい財布はかさばるから、それをもつと常に財布が意識される生き方になる=節約」、とか、「大きい財布を持つと社長といった高い地位の人間と見られがちだからいろんな情報が流れ込んで来やすくなる=投資などの機会が増える」、とか、そんな感じの内容ではないかしらと予想。
なんか最近、こういう書中で挙げた一具体例を題名にする本が増えていて鬱陶しい。収入支出の管理や心構えの本であるならば、そうした内容を題名にすればいいのに、長財布を象徴的に題名に出しちゃう。実際は長財布の使い方の部分なんて数ページなんじゃないかと予想。
竿だけ屋はなぜつぶれないかあたりから始まったものかしら。もちろん宣伝として非常にうまいが、内容に新奇なところがなければ結局は見かけ倒しということになる。
同じ内容を珍しい例で具体的に書籍化してしまったようなかうした本はもう飽きた、というのが瑠璃子の感想。

そういやこの本の広告ポスターには大量の読者アンケート例が載っていて、それがまたステキな宣伝効果を出している。
「感動しました、初めて自分で買った本です。読書が好きになるかも。(28歳・会社員)」とかどんな人なんだろ。この感想のせいで長財布はトンデモ本なのではないかと思われてしまいそうな予感だwwww
瑠璃子がはっきりさせておきましょう、長財布はトンデモ本ではない、むしろ当たり前すぎる内容の書である、故につまらないので題名だけは派手にしてみた、という本なのである。
(読んでないけどあせる


posted by グルメ界のAKB at 23:10| Comment(0) | およそ世界について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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